現在の軽トールワゴンの起源を探ると、FF + 背高キャビンと言うパッケージ手法を1972年の時点でいち早く実現した、ホンダのライフ ステップバンに行き着く。この非常に合理的なパイオニアも、当時は商用車そのままの雰囲気が多くの乗用車ユーザーに敬遠され、一方、商用車として見ると、積載力やトラクションの面ではTN シリーズに適わず、決して商業的に成功したとは言いがたい。この頃の市場は未成熟で、このような商品企画が理解され、広く支持されるには時期尚早であった。
その後、FF方式 が軽自動車に広く普及してからも、この手のジャンルで他社の追従はなく、長く市場からは消えることとなる。
1980年代後半から、折からのバブル経済に後押しされる形で、ローバー・Miniやシトロエン・2CV、ルノー・4など、個性的な輸入大衆車が販売台数を大きく伸ばしており、日本車でも、新たな付加価値を持つクルマが大挙して現れたこと、そして日産が一連のパイクカーを発表したことなどが影響し、車好き以外の消費者が、車に性能や利便性以外の「個性」を求める雰囲気が広まっていた。そんな中、1990年に三菱から、6代目ミニカの派生車種であるミニカトッポが発売された。
ミニカトッポは背が高いものの、着座位置などはミニカと全く変わらず、それほど合理的なパッケージではない。しかし、頭上空間の無駄をスタイリングに反映させ、キャラクターとして生かした点が大衆に受けた。背の高い車は「カッコ悪い」という認識を、アンバランスなプロポーションを「カワイイ」方向に振ったことで、消費者、特に女性の間にあった「背の高い車」へのアレルギーを大きく和らげる役目を果たしたビジネスライクなデザインの日産・AD MAXや、スズキのアルトハッスルは、クルマ好きの男性の支持は多いものの、それほど女性受けはしなかった。
それでもなお、パーソナルユースの軽自動車の販売は、「ボンバン」が主流であった。
現在の軽トールワゴンの隆盛に直接つながるものとしては、結果として不調に終わったスズキとフィアットの1980年代末からの合弁事業のなかで企画された、欧州向けのミニマムピープルムーバー計画が発端となる。その落とし子ともいえる存在を捨て去ることなく、軽自動車枠に収めるべく仕立て直したものが「ワゴンR」であり、図らずもその後の軽自動車市場の牽引役となった。
スズキはかつて1979年にアルトのヒットで軽ボンバンというカテゴリを切り開いた過去があるが、このワゴンRのヒットで、スズキは再び新たな成功を掴んだことになる。現在の軽トールワゴンというジャンルの確立は、ワゴンRの成功によるところが大きい。
このワゴンRのヒットをまざまざと見せつけられたスズキの最大のライバルであるダイハツは、それに対抗すべく1995年に同様のパッケージングを取り入れたムーヴを投入した。ムーヴは、販売台数でワゴンRを抜き去ることは出来なかったが(後の2003年にようやく販売台数逆転に成功する)、ダイハツらしい丁寧な造りが評価され、同社の看板車種として、またワゴンRの最大のライバルとして成長していく。
ワゴンRとムーヴの競り合いによってこのカテゴリは活況を呈し、その後、1997年にホンダが2代目ライフを、1998年に三菱がかつてのミニカトッポのパッケージングを引きずりながらもアップデートを果たしたトッポBJを投入し、各社そろい踏みとなったところで、遂に軽自動車の主要カテゴリとして完全に認知された。
スバルは自社の生産能力や規模の観点とヴィヴィオの後継モデルとの兼ね合いから、セダン(ハッチバック)系統にトールワゴンの性格を持たせたプレオで対応していた。他車より低めの車高を設定し、セミトールワゴンに分類されることもあるが、当初は車高を1575mmに設定されホンダ・ライフ(2代目・4代目)と同じ数値。、機械式立体駐車場に入庫できないため、これは大きな誤りであり、厳密なセミトールワゴンと言える機械式立体駐車場に入庫できる高さである1550mmのグレードが登場したのは2001年になってからのことである。しかし、2006年5月、新車種のステラを投入し、セダンの系統であるR2と別れた。これで全ての軽自動車メーカーが軽トールワゴンに参入したことになる。また、スバル・360で「本格的な乗用車としての」軽自動車を完成させた元祖であるメーカーがカテゴリに参入したことにもなる。
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