衆議院議長及び参議院議長は立法機関の長として内閣総理大臣(行政)、最高裁判所長官(司法)と並ぶ三権の長の一角である。総理及び最高裁長官の就任には天皇からの任命が必要であるのに対し、議長はこれを必要としない。
栄典に関しては慣例上議長経験者は従二位・桐花大綬章(旧・勲一等旭日桐花大綬章)に叙されるが、これは正二位・大勲位菊花大綬章に叙される総理経験者より一段格下の扱いとなっている。一方法律上の報酬額に関しては議長は月額218万2000円であり、月額207万1000円の総理及び最高裁長官を上回っている。
議長はその重大な職権にも関わらず、慣例上自己の判断により権限を行使する機会の少ないポストであることから政界においては事実上の名誉職とする見方もあり、自由民主党政権では議長ポストは上がりのポストとされてきた。そのため、衆議院議長を経験後に内閣総理大臣になった者は存在しない(二階堂進や小渕恵三が議長就任を断った理由がこれであるとされる。
内閣総理大臣経験後に衆議院議長に就任した人物として幣原喜重郎がいる)。坂田道太は議長退任後に首相就任の声がかかったことがあるが(竹下内閣退陣時)、「議長経験者が首相になるのは国会の権威の上からよくない」として辞退している。
他方で、土井たか子と綿貫民輔が衆議院議長職経験後に小政党の党首に就任し、首班指名選挙で票を得た例があったり、衆議院議長職経験をした山崎猛が首班候補とする山崎首班構想があったりした(ただし山崎は帝国議会時代最後の議長である。戦前の政治では議長の地位は今よりも低く、貴衆両院議長の宮中席次は第12位で首相や元老はもちろん陸海軍大将や枢密顧問官よりも下であった。当時の貴族院では、近衛文麿が42歳で議長に就任した例さえあった)。
なお、日本社会党・民主党出身の副議長のうち、副議長経験後に党首になった者は存在しないが、自民党で正副議長を独占していた時代における副議長はキャリアパスであり、その後に閣僚に就任した例も多い(ただし首相になった者はいない)。民主党で副議長経験者の渡部恒三が党首どころか党三役より格下の国会対策委員長に就任したことがあったが、非常事態における短期間のものであった。
天皇臨席の元で開催される国会開会式は参議院本会議場で開催されるが式の主宰者は衆議院議長である。開会式の際、天皇が詔書を読み上げられたあと衆議院議長は詔書を受け取って天皇に背中を向けぬようを後ろ向きに階段を降りなければならない。1985年、福永健司衆議院議長は体力の衰えから後ろ向きに階段を降りることができないため辞任した。
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