源 義家(みなもと の よしいえ)は、平安時代後期の武将。河内源氏の源頼信の孫。八幡太郎(はちまんたろう)の通称でも知られる。後に武家政権鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府の足利尊氏の祖先に当たることから後世に英雄視され、様々な逸話が生み出される。
比叡山等の強訴の頻発に際し、その鎮圧や白河天皇の行幸の護衛に活躍するが、陸奥守となったとき、清原氏の内紛に介入して後三年の役を起こし、朝廷に事後承認を求めるが、朝廷は「私戦」として官符を下さなかった。
その後約10年間は閉塞状態であったが、白河法皇の意向で院昇殿を許されたが、中御門右大臣・藤原宗忠はその日記『中右記』承徳2年10月23日条に「義家朝臣は天下第一武勇の士なり。昇殿をゆるさるるに、世人、甘心せざるの気あるか」と書く。
その活動時期は摂関時代から院政時代に移り変わる頃であり、政治経済はもとより社会秩序においても大きな転換の時代にあたる。このため歴史学者からは、義家は新興武士勢力の象徴ともみなされ、後三年の役の朝廷の扱いも「白河院の陰謀」「摂関家の陰謀」など様々な憶測がされてきた。生前の極位は正四位下。
| 氏名 | 源義家 |
| 時代 | 平安時代後期 |
| 生誕 | 長暦3年(1039年) |
| 死没 | 嘉承元年7月4日(1106年8月4日) 享年68 |
| 改名 | 源太、不動丸、義家 |
| 別名 | 八幡太郎 |
| 墓所 | 大阪府羽曳野市 通法寺 |
| 官位 | 正四位下、出羽守、下野守、陸奥守 |
| 氏族 | 清和源氏、河内源氏 |
| 父母 | 父:源頼義、母:平直方娘 |
| 兄弟 | 義家、義綱、義光、快誉 |
| 妻 | 源隆長娘、藤原有綱娘など |
| 子 | 義宗、義親、義国、義忠、義時 義隆、為義、輔仁親王室、源重遠室 |
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