中国の前近代においては、「小説」という用語が使われ始めたのは、目録上でのことだった(『漢書』「芸文志」)。しかも、それは、文学・芸術的な用語として生まれたのではなかった。「芸文志」には「街談・巷語、道聴・途説する者が造る所なり」「諸子十家、その観るべきもの、ただ九家のみ」という記述があり、街巷で語られたつまらない話が小説であるとされ、九流の諸子とは異なり、一ランク下のものと考えられていたことが分かる。
遡って、『荘子』「外物篇」には「小説を飾り以て辞令を幹とし、其れ大達すること亦た遠し」とあり、ここで言わんとしているのは、粗浅の道理を修飾して、多大な知名を獲得するには、いわゆる達人や志士とは格段の隔たりがある、劣るということである。
漢代になると、桓譚は、その著の『新論』中において、小説に対する議論を展開しているが、ここには大きな変化が見られる。つまり「かの小説家は残叢の小語を合し、近く譬喩を取り、以て短書を作り、治身理家に、観るべきの辞あり」と述べられているのである。ここで用いられている小説は、後代の小説と、似通った意味合いで用いられる。但し桓譚が用いている「短書」とは、なお軽慢の意があることは免れない。
中国で唯一の小説家皇帝曹丕のような例外はあるものの、古代中国での小説は以上のように上流階級から蔑まれる物であった。しかし、これ以降の時代には主に民衆から支持を得る形で小説が人気を得ていく。
六朝時代の小説は、内容的に神異的になり、志怪小説と呼ばれた。唐代の伝奇小説に至ると「奇」が勝ちをおさめた。魯迅が『中国小説史略』の中で指摘しているように、詩と同様に唐代で一変し、なお怪異を求める風は存したが、その文学性は格段に洗練された。つまり、唐代の「伝奇」は、従来のように怪異を叙述しながら、人事の機微までをも描き得ており、それは、前代の「志怪」の描ききれていないところであったのである。代表的なのは、『霍小玉伝』や『枕中記』である。また唐代には、通俗小説が出現し、後世の文学に多大な影響を与えた。
宋代には、庶民の社会生活を描写した「話本」が出現し、『碾玉観音』や『錯斬崔寧』などの代表作が作られた。宋代話本の特色は白話を用いて描写される点にある。よって、唐代の伝奇に比べて更に通俗的となった。
元曲が著しく発展した元代を経て、明代以後、小説の発展は成熟期を迎えた。唐代の伝奇、宋代の話本の伝統を継承し、創作の題材上においては、歴史、怪異、英雄、世情を論ずることなく、すべてを網羅するようになった。明代の通俗小説は、長編と短編の二大潮流に分かれることとなる。長編小説は「四大奇書」を代表とする。短編小説は、馮夢龍の「三言」、凌蒙初の「二拍」を代表とする。
清代の小説では、「紅楼夢」という中国長編小説の一大傑作が生まれた。
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