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富士重工業 その後の推移と業務提携





レオーネを発売した1970年代初頭から、本格的なアメリカ市場への進出を。オイルショック排気ガス規制などの消費者の自動車に対する要求の変化や、当時の円安を背景とした廉価性を武器に、国産他メーカーと同じくアメリカ市場での販売台数を飛躍的に伸ばすことに成功した。
1968年から1999年まではメインバンク(日本興業銀行/現:みずほコーポレート銀行)が同じ日産自動車と提携、日産・チェリーパルサーサニーなどの委託生産を請負い、工場稼働率のアップを図っていたが、設計の共同化や部品の共用化などが本格的に行われることはなかった。
1970年代中盤からは、南米オーストラリアを中心としたアジアオセアニア地方、中東ヨーロッパなどにも進出。1970年代以前には年産10万台にはるかに満たなかった生産台数を、1970年代後半には20万台規模にまで増やし順調に企業規模を拡大した。
しかし、1985年9月プラザ合意以降の急激な円高とアメリカ市場との「共生」が求められるようになった時代背景の中で、北米市場での深刻な販売不振に直面。 1987年いすゞ自動車との共同出資で、スバル・イスズ・オートモーティブ(SIA)を設立して現地生産もしたOEMによる完成車の相互供給も行なわれたが、2003年にいすゞのSIAからの撤退をもって関係を解消している。 が、主に魅力的な車種展開が図れなかったことや、企業規模から他国産メーカーと比べ製造コストを劇的に下げることができなかったことなどから、1989年には300億円もの営業赤字を抱え、深刻な経営危機が報じられるまでになった。
しかし、折からの「バブル景気」によって資金調達のめどが順調に立ったことや、1989年1月レガシィの発売以来、順調に国内市場、北米市場での販売を回復することに成功。1990年には日産ディーゼル工業の経営再建に手腕を発揮した川合勇のもとで地道なコスト削減努力が続けられ、WRCへの出場など、CI(コーポレーテッド・イメージ)の積極的な訴求効果とあわせ、年産30万台規模の世界的に見て比較的小規模なマスプロダクツ・メーカーとして現在に至っている。
バブル崩壊後、日産自動車が経営不振に陥り、経営再建の一環として日産自動車保有の富士重工業株の売却を決め、2000年に放出株全てがゼネラルモータース(GM)に売却されたGM傘下在籍中には、同傘下のSAABにインプレッサ・スポーツワゴンのOEM車種サーブ9-2Xを提供したり、GMのタイ工場からオペル車のOEMであるトラヴィックなどの供給を受けていた。また2003年から開発がスタートした「B9トライベッカ」ではサーブ版を最初からサーブ側と共同開発する計画だった。
しかし、GMの業績悪化に伴い2005年10月5日には、GMが保有する富士重工株20%をすべて放出。放出株のうち8.7%をトヨタ自動車が買い取って筆頭株主となり、富士重工業とトヨタ自動車が提携することで合意した。GMグループのスズキと、軽自動車の部品の共通化などをすすめてきていたが、今後、トヨタ自動車及びトヨタグループ(トヨタ傘下)のダイハツ工業との開発部門の交流や部品共通化によるコスト削減効果が期待される。



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