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中村久子青年期





1916年(大正5年)、20歳になった久子は地元高山を離れ一人暮らしを始め、久子は「だるま娘」の名で見世物小屋での芸人として働くようになる。実際のところ、見世物小屋に入ったのは本人の意思ではなく、母と再婚した父が身売りした為であった。見世物小屋では、両手の無い体での裁縫や編み物を見せる事が芸であった。
さらに不幸もあった。最愛の祖母の死や夫の死、それでも久子はくじける事無く働き続けた。その後1934年(昭和9年)興行界から去った。
久子は見世物小屋で働き始めた時「恩恵にすがって生きれば甘えから抜け出せない。一人で生きていかなければ」と決意し、生涯を通じて国による障害者の制度による保障を受けることは無かった。




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中村久子4-1
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