7世紀末から8世紀初頭の突厥(第二突厥帝国)の人々が残した古テュルク文字の碑文において中国の人々を指して使われている呼称に「タブガチュ(タブガチ、Tabgach、Tabγa?)」があり、北中国に北魏を建てた鮮卑の拓跋部、拓跋氏に由来すると考えられている(白鳥庫吉やポール・ペリオらの説。桑原隲蔵は唐家子に由来するとの説、つまり唐由来説を唱えた)。
タブガチュの系統の呼称は、1069年のクタドグ・ビリク (:en:Kutadgu Bilig) におけるタフカチやTamghaj、Tomghaj、Toughajなど突厥以後も中央アジアで広く使われた。1220年-1224年に西方を旅した丘長春(長春真人)は「桃花石」と記録している。11世紀-12世紀のカラハン朝においては数人の可汗がTabghach (Tavghach) という名である (:en:Qarakhanid dynasty) 。しかしモンゴル帝国の時代前後に後述するキタイに取って代わられた。
なお古テュルク文字碑文以前、東ローマ帝国の歴史家テオフィラクトス・シモカッタ (:en:Theophylact Simocatta) の7世紀前半に書かれたとみられる突厥による柔然滅亡(552年)関連の記事にタウガス (Taugas) との記載があり、これも同系統の呼称と思われる。記事が書かれた時期は隋末-唐初期と思われ、柔然の滅亡は西魏から北周、東魏から北斉への禅譲と同時期となる。
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