
「三菱・ジープ」 歴史
警務隊で使用される73式小型トラック
- 1949年:ウイリスオーバーランド社は、戦後の民需転換を図るべく、ジープを民生用とした「シビリアンジープ」(CJ)の売り込みに注力していた。日本での販売のため、三菱水島製作所にも程近い、倉敷レイヨンとの共同出資による倉敷フレイザーモータースが設立された。
- 1950年:米国政府は朝鮮動乱に必要となるジープを安価に調達するため、補給基地となる日本でのノックダウン生産を決定した。同年12月、ウイリス社の極東地区担当マネージャーが来日し、提携先とする自動車メーカーの検討を開始した。倉敷フレイザーモータースの尽力や警察予備隊の要望などから、政府間協議の結果、中日本重工業(後の新三菱重工業)に白羽の矢が立った。
- 1952年7月:ノックダウンによる組立下請契約が成立、組み立ては名古屋製作所の大江工場が担当し、販売は倉敷フレーザーモータースが行うこととなった。
- 同年12月:最初の部品が名古屋港へ到着。
- 1953年:生産開始。本家のウイリスではFヘッドとなった「ハリケーン4エンジン」を搭載した新型である「CJ3B」の生産がすでに始まっていたが、三菱製ジープは、一世代前のサイドバルブ式「ゴーデビルエンジン」を搭載する「CJ3A」からのスタートとなった。
当初は左ハンドルであったが、のちに通産省の指導で右ハンドル化され、「CJ3B-J3R」となる。
- 同年7月18日:ウイリス・オーバーランド輸出会社との間に、ジープを中心とする四輪駆動車に関するライセンス生産、および販売契約が締結され、同年9月1日、正式に両国政府の認可が降り、ここに国産化の運びとなる。
当時、ウイリス社では、ジープの生産に関し、9ヶ国にわたる各企業と提携があったが、いずれも下請としての契約であり、製造と販売の権利を共に供与する契約が締結されたのは、日本の事例のみである。米国政府が日本を防共の砦と位置付け、重視していたことが伺える。同時にエンジンが「ハリケーン4」に切り替わり、型式も「CJ3B」となる。
- 1954年12月10日:エンジンの国産化を達成。日本製ハリケーン4の意味で「JH4」と名付けられた。
- 1955年:「JH4」の量産を開始。生産は京都製作所が担当した。
- 1973年:防衛庁の指示で、それまでの「J54-A」に代わり、ミドルホイールベースの「J24」をベースとした「J24-A」・73式小型トラックが登場する。
- 1982年:パジェロ登場に伴い、車種を大幅に整理。
- 1996年:防衛庁が長らく73式小型トラックとしてジープを採用していたが、最新の排ガス規制、衝突安全への対応や、操縦安定性、居住性の向上には、採算面をはじめ、ジープのアップデートでは不合理な点が多いため、2代目パジェロベースの新型73式小型トラックの採用となった。この際、複数メーカーによる競争入札は行われておらず、ジープとは異なる車であるにもかかわらず、「73式」の呼称も受け継がれている。
- 1998年:生産中止が決定し、最終記念限定生産車として300台が限定で生産される。車体色はこれまでの生産車には無いサンドベージュで、助手席側に1/300を示すプラークが備わる。
Jeep Trail Mitsubishi Jeep J54, Suzuki Jimny JA 三菱 ジープ スズキ ジムニー
05:51
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