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ロマン派音楽 初期ロマン派音楽(1815-1850)





1810年代までの、楽曲素材に対する新たな変化は、旋律中における半音階のいっそうの利用や、より表情豊かな和声法への要求と並んで、一目瞭然の変化となった。ナポレオン以後のヨーロッパという新しい環境に対して、訴求力を持つことのできた作曲家にとって、舞台は設定されたのである。
これらの作曲家の第一波は、概ねベートーヴェンやシュポーア、ホフマンのほか、カール・マリア・フォン・ウェーバーフランツ・シューベルトであった。これらの作曲家は、18世紀後半から19世紀初頭までの演奏界の劇的な急成長のさなかで育っているのである。ベートーヴェンが、大勢から従うべき模範としてとして認められたが、クレメンティの半音階的な旋律や、ケルビーニメユールロッシーニの目映いオペラ作品も影響力をもっていた。それと同時に、中産階級にとって自宅での音楽活動が家庭生活の重要な部分となりつつあったため、民族詩への曲付けや、ピアノ伴奏歌曲の作曲は、作曲家の新たな(そして重要な)収入源となった。
このようなロマン主義の波において重大な作品は、ウェーバーの一連のロマンティック・オペラ(《オベロン》《魔弾の射手》《オイリアンテ》)や、シューベルトの連作歌曲と交響曲である。シューベルトの作品は、当時は聴衆の前での演奏が限られていたが、次第に衝撃力を広げていった。対照的に、ジョン・フィールドの作品はすぐ有名になった。部分的には、フィールドがピアノのための性格的小品や舞曲を創る能力に恵まれていたからである。ロマン派の作曲家の次なる一団は、エクトル・ベルリオーズフェリックス・メンデルスゾーンフレデリック・ショパン、そしてフランツ・リストである。みな19世紀の生まれであり、初期の経歴から永久不滅の作品の創作にとりかかっている。メンデルスゾーンはとりわけ早熟であり、2つの弦楽四重奏曲弦楽八重奏曲演奏会用序曲夏の夜の夢》を完成させたのは、まだ10代のうちであった。ショパンはピアノ曲の作曲に集中しようとしていた初期に、2つのピアノ協奏曲練習曲集を完成させており、ベルリオーズはベートーヴェン以後で最も重要な交響曲の先駆け《幻想交響曲》を完成させている。
また同時に、今日「ロマンティック・オペラ」と呼ばれている音楽は、パリや北部イタリアとの強力な関係によって成立した。フランスの超絶技巧のオーケストラと、イタリア風の声楽の旋律線や劇的な燃焼力との結合は、原作を大衆文学からとる傾向と相俟って、今なおオペラの舞台に君臨し続けているような、感情表現の1つの規範となっている。ヴィンチェンツォ・ベッリーニガエターノ・ドニゼッティが、この頃すこぶるつきの人気であった。
ロマン主義のこのような局面についての重要な視点は、ピアノの演奏会(リストの用いた言葉を借りるなら「リサイタル」)の幅広い人気であった。当時のリサイタルは、人気のある主題による即興演奏や、小品、ベートーヴェンやモーツァルトのピアノ・ソナタなどの大作から構成されていた。最も重要なベートーヴェン弾きは、後のシューマン夫人クララ・ヴィークであった。鉄道蒸気船によって旅行が簡便になると、リストやショパン、タールベルクといったピアノのヴィルトゥオーソは、演奏旅行の回数を増やし、国際的な聴衆を獲得した。演奏会はそれ自体が事件となった。ヴィルトゥオーソ現象の先駆者こそ、かのヴァイオリンの巨匠ニコロ・パガニーニだったのである。
1830年代から1840年代にかけて、ロベルト・シューマンジャコモ・マイヤベーアジュゼッペ・ヴェルディ青年らを含む音楽的な世代が、花盛りの時期を迎えた。特筆すべきは、「ロマン主義」や、あるいは当時の音楽活動で主流の様式ですらあった、パリ音楽院が手本となったポスト古典主義様式だけでなく、宮廷音楽までもが、演奏会のプログラムを左右していたことである。これが変化するようになるのは、交響楽団のような団体による定期公演の隆盛によってであり、その流行を促したのは、ほかならぬメンデルスゾーンであった。音楽は半ば宗教的な経験と見なされるようになり、「楽友(フィルハーモニー)」協会が演奏会の一部となって、前時代の演奏界とは対照的に、形式ばった態度がとられた。
リヒャルト・ワーグナーが最初に成功したオペラを制作し、「楽劇」という概念に至る構想を大胆に膨らませるようになったのもこの時期である。自称革命家で、つねに債権者や為政者とトラブルを抱えたワーグナーではあったが、身の回りに馬の合う音楽家を集め始めた。そのひとりがフランツ・リストであり、両者はともに、「未来の音楽」の創出へと没頭した。
文字通りの「ロマン主義」は、大雑把に見ると、ヨーロッパ情勢を一変させた1848年の「革命の年」をもって終息する。パガニーニやメンデルスゾーン、シューマンらの逝去や、リストのリサイタルからの引退に加えて、「写実主義」のイデオロギーの高まりとともに、音楽活動の新しい波が訪れた。この新しい波については、詩や絵画の場合と同じく、ロマン主義というより「ヴィクトリア朝文化」と位置付けるべきだと論じる向きも英国にはあるが、今のところ主流派にはなっていない。その代わりに、19世紀後半の音楽については、「後期ロマン主義音楽」と評されている。



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