ジュニア時代にBMXでオーストラリアチャンピオンに輝き、1990年に18歳でロードレース選手にへ転身し、経験を積んでいく。1994年にはオーストラリア・ナショナルチームのメンバーに初選出され、同年の世界選手権に出場。そして1996年にラボランクと契約を結びプロデビュー。同年のアトランタオリンピックにも出場したが結果は23位だった。
翌年、ツール・ド・フランスに出場し、117位で完走。以後も毎年のように同大会へ出場を続け、経験を積んでいく。1999年ツール・ド・フランスでは最終ステージで優勝、2000年のシドニーオリンピックでは19位という結果を残した。
そして2002年、パリ〜ニースで2勝をあげ、5月のジロ・デ・イタリアでも2勝。ツール・ド・フランスでもステージ2勝をあげたほかエリック・ツァベルと激しいポイント争いの末にマイヨ・ヴェールを獲得。この年はツアー・ダウンアンダーでも4勝しポイント賞を獲得したほか、オーストラリア選手権でも初優勝。さらに世界選手権でも2位に入るなどの大活躍を見せ、オーストラリアのサイクリスト・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、一気にトップ選手の仲間入りを果たした。
2003年もジロ・デ・イタリアで2勝。2004年はツール・ド・フランスでステージ2勝をあげて2回目のポイント賞を獲得。ジロ・デ・イタリアでも勝利したほか、マシュー・ホワイト、バーデン・クック、マイケル・ロジャース、スチュアート・オグレディとチームを組んでアテネオリンピックにも出場している。
2005年はジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスでそれぞれステージ3勝をあげたほか、オーストラリア選手権で2回目の優勝を果たした。2006年にもジロ・デ・イタリアステージ3勝。ツール・ド・フランスでもステージ3勝をあげて3回目のポイント賞に輝いた。
2007年もジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスでそれぞれ1勝。
2008年はツール・ド・ロマンディで1勝、ツール・ド・スイスでは得意の「ただ乗り」を封印し、自チームのトレインに乗って2勝(スイスでは2003年から通算7勝目)、ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスでは勝利を挙げられなかったが、ヴァッテンフォール・サイクラシックスで優勝するなど30代後半ながら衰えを見せていない。(2008年現在、プロ通算184勝)
2009年からはティンコフ・クレジットシステムの後継チームとして発足する「カチューシャ」に移籍する事が決定した。
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