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レオシュ・ヤナーチェク ヤナーチェクの受容史





オペラ「イェヌーファ」ははヤナーチェクがモラヴィアの民俗音楽の語法を身につけた後9年の歳月をかけて完成させた、作品であった。しかし、ヤナーチェクは「イェヌーファ」の初演をボヘミアの首都プラハで行うことを希望していたが、プラハの国民劇場からは「成功するとは思えない」という理由で拒絶された。これはヤナーチェクと国民劇場の主席指揮者だったカレル・コヴァルジョヴィッツとの個人的な確執が拒絶の原因といわれるが、そもそも先に述べたようにボヘミアとモラヴィアでは音楽に大きな違いがあり、また、1900年前後のチェコの人気作曲家といえば、ドヴォルザークとズデニェク・フィビヒであり、次の世代のヨゼフ・スークであったが、1904年のブルノでの「イェヌーファ」初演は成功だったとはいえ、この時点でヤナーチェクは、まだ人気の博す作曲ではなかったヤナーチェク自身の回想(1906年)によれば、「必ずプラハで上演される」と断言してくれたのは、ブルノ初演直後に亡くなったドヴォルザークだったという。
結局、プラハで「イェヌーファ」の公演が行われたのは、ブルノでの初演から12年経った1916年のことであった。この成功でヤナーチェクの名はヨーロッパで知られるようになった。1918年のウィーン、ケルンをはじめ、その後数年のうちにフランクフルトベルリンバーゼルでも公演された。そして1924年にはニューヨークメトロポリタン歌劇場公演がなされた。1917年のカミラとの出会いをきっかけに始まった晩年の旺盛な創作活動の陰には、こうした成功も影響している。
しかし、ヤナーチェクは死後次第に忘れられ、比較的長く名声が保たれたドイツ語圏でも第二次世界大戦により忘れ去られることになった。その後は、チェコのローカルな作曲家として、フィルクスニーやラファエル・クーベリックヴァーツラフ・ノイマンらが演奏する極めて限られた作品が聴かれるにすぎなくなった。しかし、マッケラスのオペラ録音を機に再発見がなされ、演奏される曲目も増え、その評価は次第に高まりつつあるのが現在の状況である。



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