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ラップ日本におけるラップ





日本においては、多くの単語が共通の綴りで結ばれる(-tion、-erなど)英語と違い、「日本語でラップを行うことは困難」とされており、実際YMO等は英語でラップを試みていた。しかし1980年代以降、ヒップホップミュージックの隆盛にあわせ、近田春夫いとうせいこうらにより日本語ラップへの試みが行われ、読経をベースにし、日本語でもライムが可能である事が発見されるなど多くのMC達の努力の結果、次第に広まりをみせた。昨今ではヒップホップに留まらず、ロックJ-POPにも取り入れられる手法となり、チャート上位の曲でラップを聴く事も多くなった。この流れは、かつての日本語によるロックの経緯と重なる部分がある。使われる音はクリーンが多い。
音楽シーンでは、1984年佐野元春がアルバム「VISITORS」収録の楽曲「COMPLICATION SHAKEDOWN」や「COME SHINING」等でラップへの接近を試みた。これは前年からの約1年間に渡るニューヨーク生活において現地で高まりを見せていたヒップホップ文化から受けた衝撃と影響によるものであり、自身が既発曲で試みていた日本語によるビート感の追求との大胆な融合の産物であった。同アルバムはオリコンチャート1位を記録するものの、当時の多くのファン、マスメディアはこれらの楽曲を的確に理解することが出来ず、その音楽表現の解釈に困惑していた。1985年には吉幾三が「俺ら東京さ行ぐだ」で、ラップ(のようなもの)を取り入れた。この時は、歌詞の滑稽さばかりが取り上げられて、その革新的な作曲は評価されなかった。また、屋敷豪太により、ヒップホップ化されたリミックスが作られたが、吉幾三側によって発売を拒否された。このことからも、本作がラップの日本語化を意図していたとはいいがたい。この後、1994年スチャダラパーの「今夜はブギーバック」やEAST END×YURIのシングル「DA・YO・NE」などによって、ラップの存在が一般に認知されるようになる。そして1990年代後半、Dragon Ashが登場する。Dragon Ashの影響は大きく、それまでのヒップホップアーティストには批判もされながらも、ラップはメジャーシーンに引き上げられ、日本のヒップホップは良くも悪くも変わっていく。90年代半ばから後半にかけてオーバーグラウンドでEAST ENDやDragon Ashが成功を収める一方、アンダーグラウンドでキングギドラなどが隆盛を迎えていたことによって「韻を踏んでないものはラップではない」とする意識がラップミュージックのファンやMC達の間に強く生まれた。
ヒップホップには、社会へのメッセージ性を排し、商業的な成果だけを求める行為を「セル・アウト(sell out)」と呼び、卑しむ文化がある。しかし現在日本の音楽界では話題性などの商業的影響を考え、タレントなどが楽曲をリリースする際に単なるスキャットを「ラップパートがある」と称してリリースされる曲が増えてきている。このためポップ・ミュージシャンなどの門外漢が、ラップをすることに対する強い反感を生み出している。
現在アメリカではトップセールスを記録する曲はラップミュージックが多いが、日本ではラップやヒップホップの本質が、まだ正しく認知されていないのが現状である。リリックの間に「チェケラッチョ(Check it out!)」や「Yo!(「おい」などのかけ声)」を混ぜただけでラップを自称するグループや、ラップ要素がなくともヒップホップファッションをしている等、「リズムのよさや目新しさで印象深くするため」の道具として使われることも多く、これはロック・ミュージックが輸入されときの流れにも似ている。日本では本来のラップとはかけ離れた楽曲を提供する者が、ラッパーと名乗ったりもする。
一方で独自の解釈やセンスで優れたジャパニーズラップを展開し、国際的にも評価されるアーティストが出てきている。
また、1957年発表の黒澤明監督作品『どん底』のラストに出てくる佐藤勝作曲の「馬鹿囃子」は、現在のラップに非常によく似た音楽性を持ち合わせている。



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