ヨハン('。
1801年12月12日にドレスデンで、ザクセン選帝侯フリードリヒ・クリスティアンの五男マクシミリアンとその最初の妻であったパルマ公フェルディナンドの娘カロリーナ・マリーア(1770年 - 1804年、独語名カロリーネ・マリア)の第六子として生まれた。
ヨハンは詩や音楽を好み、特に母親がイタリアのパルマ公家出身ということもあってイタリア文学に傾倒した。1821年には兄のクレメンスとともにイタリアへ旅行している(なお同行したクレメンスは翌1822年にピサで客死した)。また、自らフィラレテス('''')の筆名でダンテ・アリギエーリの『神曲』をドイツ語へ翻訳している。
1822年11月21日にヨハンはバイエルン王マクシミリアン1世の王女アマーリエ・アウグステ(1801年 - 1877年)とドレスデンで結婚した。
1830年に長兄のフリードリヒ・アウグストは国王であった伯父のアントンによって摂政に任命され、1836年にアントンが死去するとフリードリヒ・アウグスト2世として王位に即いた。フリードリヒ・アウグスト2世にも子供がいなかったためヨハンは王太弟となり、1854年に彼が事故死すると王位を嗣いだ。
ザクセン王国は首相のフリードリヒ・フェルディナント・フォン・ボイスト()の影響の下、大ドイツ主義を採ってオーストリア帝国と接近した。しかしオーストリア側で参戦した普墺戦争(1866年)でプロイセン王国に敗れるとザクセンも北ドイツ連邦に加盟し、1871年のドイツ統一の際にはドイツ皇帝ヴィルヘルム1世に忠誠を誓っている。
ヨハンは1873年10月29日にピルニッツで死去し、王位は長男のアルベルトが嗣いだ。
| 人名 | ヨハン |
| 各国語表記 | |
| 君主号 | ザクセン王 |
| 画像 | Louis Ferdinand von Rayski - K?nig Johann von Sachsen, 1870.jpg |
| 画像サイズ | 200px |
| 画像説明 | ヨハン(ライスキ画、1870年) |
| 在位 | 1854年8月9日 - 1873年10月29日 |
| 全名 | ヨハン・ネポムク・マリア・ヨーゼフ・アントン・クサヴァー・ヴィンツェンツ・アロイス・フランツ・デ・パウラ・スタニスラウス・ベルンハルト・パウル・フェリックス・ダマスス・フォン・ザクセン |
| 出生日 | 1801年12月12日 |
| 生地 | ザクセン、ドレスデン |
| 死亡日 | |
| 没地 | ザクセン、ピルニッツ |
| 埋葬日 | |
| 埋葬地 | 、ザクセン州ドレスデン、カトリック宮廷教会 |
| 配偶者1 | アマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルン |
| 子女 | マリー アルベルト エリーザベト エルンスト ゲオルク ジドーニエ アンナ マルガレーテ ゾフィー |
| 王家 | ヴェッティン家 |
| 父親 | マクシミリアン・フォン・ザクセン |
| 母親 | カロリーネ・フォン・ブルボン=パルマ |
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