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アヘン 日本におけるアヘン史





日本に伝わったのは、おそらく室町時代、中国からであったと考えられる。江戸時代には、海外貿易がほぼ完全に幕府の統制下にあったため、国内でほとんど産しないアヘンは、医療用に少量が流通するのみであった。江戸時代の末期である1837年には、太田四郎兵衛がアヘンの製造に成功したとの記述がある。その後、明治維新の前後には、栽培が全国に広がっていた。アヘン戦争の教訓から江戸幕府は、安政五カ国条約にアヘン輸入禁止の条項を設けた。この条項は部分的な条件下で諸外国にアヘンの所持や密売に対して罰則を設ける物であった。明治政府は、1868年(慶応4年)に太政官布告慶応4年第319号を布告し、1870年(明治3年)8月19日には販売鴉片烟律と生鴉片取扱規則を布告。使用や売買を厳禁とし、重罪とした。1879年(明治12年)5月1日には薬用阿片売買竝製造規則(阿片専売法)を施行した。この法律において、政府は国内外におけるアヘンを独占的に購入し、許可薬局のみの専売とした。購入は医療用途のみとし、購入者及び栽培農家は政府による登録制とした。この専売制は日清戦争の戦需品として、政府に利益をもたらした。
日本は下関条約の締結を経て、台湾を統治した。当時台湾においてアヘンの使用が広がっていたことを背景に、後藤新平伊藤博文にアヘンの漸禁政策案を提出し、1897年には台湾阿片令が敷かれる(参照:後藤新平)。阿片令において、アヘン中毒者へのアヘン販売が許可された。1898年の台湾阿片令にて台湾におけるケシ栽培が禁止され、台湾総督府専売局によりアヘンは独占的に販売された。内地におけるアヘン製造が活性化した。
その後、日本は関東州満州においてもアヘンを厳禁としない漸禁政策を敷く。1915年にはモルヒネの国内生産が成功し、アヘンの需要は高まった。関東州、満州においてもアヘンは製造された。日中戦争下において、関東軍影佐禎昭大佐の指導で里見甫が中国の犯罪組織のチンパンホンパンと連携し里見機関を設立、上海でのアヘンやモルヒネを大量に密売した。
時代劇でも、長崎奉行が絡む「裏の商売」として「アヘンの密輸・密売」が取り上げられる事がある。大概、悪徳商人と長崎奉行が結託してアヘンを密輸し、女郎等に吸わせて中毒にさせて客を取らせたり、密売で大儲けを画策するという筋書きである。もっとも、当時日本と唯一通商関係を持っていたヨーロッパの国であったオランダは、日本との通商関係の維持を優先してイギリスが清に行ったようなアヘンの密貿易を忌避していたとされている。開国後もオランダは鎖国時代と同様の幕府の好意を維持するために1857年安政追加条約日蘭和親条約の改訂)で、アヘン貿易の禁止条項を真っ先に受け入れて、結果的にこれが他の欧米諸国もこれに同意させることになった。



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