「だるま女」歴史上のだるま女
- 漢王朝を興した劉邦の正妻呂雉は、夫の死後、我が子である劉盈(恵帝)の地位を脅かしかねないと、劉邦の側室であった戚氏の手足を切断。更に薬物による会話能力破壊・聴覚破壊、さらには眼球までくりぬき、生きたまま便所に配置し「人豚」と称して晒し者にしたとされる。これは史記に記載され、呂雉の残忍さを表わすものとして有名な逸話であるが、当時の医療技術でそのまま生存させることが可能だったか否かは疑問である。
- 中国史上、唯一人の女帝である則天武后も、亡き高宗の寵愛を争った王氏(前皇后)・蕭氏(前淑妃)両名の四肢を切断後、「蟒」・「梟」と無理やり改名させたとされる。
- 清王朝末期、皇帝の寵愛を受けていた麗姫は、西太后に妬まれ、結局、だるま女にされたとされる
[1985年に日本で公開された中国映画『西太后』(主演・劉暁慶)のラストでこのシーンが出てくるが、加藤徹著『西太后』(中公新書 2005年)56頁によると、これは全くのフィクションであり、清朝の宮廷記録によると実際の「麗嬪」(麗貴妃)は皇帝の没後も後宮で静かな余生を送り、54歳まで生きたという。]。



達磨女
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